ブルーノプロデュースvol.6「カシオ」アフタートーク×藤原ちからさん

藤原ちから さん

1977年生まれ。編集者、フリーランサー。BricolaQ主宰。

高知市に生まれる。12歳で単身上京し、東京で一人暮らしを始める。立教大学法学部政治学科卒業。以後転々とし、出版社勤務の後、フリーに。

雑誌「エクス・ポ」、フリーペーパー「路字」、武蔵野美術大学広報誌「mau leaf」などの編集を担当。

プルサーマル・フジコ名義で劇評サイト「ワンダーランド」や音楽雑誌「ele-king」に執筆。共編著に『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)。

橋本ブルーノプロデュース主宰の橋本清です。今回のゲストは藤原ちからさんです。
藤原

えーと、何から話しますかね。ちょっと昔話風に始めると、

初めてブルーノプロデュースを観たのは、シアターバビロンの流れのほとりにて、という劇場で。松本大洋の『メザスヒカリノサキニアルモノ若(も)しくはパラダイス』でしたね。

橋本

そうですね、去年の4月に。

松本さんが「黒テント」に書き下ろしした戯曲を、2バージョンで演出するっていう作品を。

 

藤原

その時は個々のアイデアは面白いと思ったけど、過剰すぎてとっちらかって、

結果収拾つかなくなったみたいな印象があって。

それは前作の北村薫さんの小説を原作にした『ひとがた流し」でも感じたんです。

だから今までの橋本くんに対する印象は、演出上、技巧的にやりたいことはあるんだけど、

それが橋本くんがたぶん持ってる「ピュアさ」や「世界への愛」のようなものとのバランスがまだとれなくて、溢れてこぼれちゃった、みたいな感じだったんですね。

で、最初観た時に、たしか、柴幸男(ままごと主宰)に似てるね、みたいな話をしちゃったかと思うんですけど。

でも橋本くんは、東京デスロックの演出部に入ってるんですよね?

橋本はい。毎公演、演出助手として作品に関わっています。
藤原

で、なのに実は正直、今までブルーノプロデュースを観て、一回もデスロックぽいと感じたことはなかったんです。

というのは全然東京デスロックの多田淳之介さんがやっていることと重なってこない気がしていたんですけど、今日の『カシオ』は、あーなるほど!と、初めて思ったというか、あ、これはデスロックをさすが最も間近で観てきたからこそ作れた舞台だなあという印象を受けました。

 

いくつか理由があるんですけど、例えばひとつは、冒頭部分にもデスロックの『LOVE』へのオマージュを感じるし……。だけどそういう意味で言えばオマージュだらけですよね?

「今から二回目の引越しの話をします」って言うのはチェルフィッチュだし。

あるいは「この物語はあと30分で終わります」という台詞が出てくるのは柴幸男の『わが星』をいやおうなく連想させるし。

つまりここ数年の演劇のいろんな要素が入っている感じがする。

で、そうなんだけど、全然「パクってる感」はなくて、すごく橋本くんぽいなとも思ったんで、今日はそういう話をしたいと思います。

■テクストのエモーション

藤原

以前、『エクスポ』という雑誌で東京デスロックの多田淳之介さんにインタビューした時に、僕はそのとき実は現場に立ち合ってなくて、後でテープを聴いて、誌面に起こしただけなんですけど。

その時「演劇としてどういうものをテクストとして扱うか?」って問いに対して

「(居酒屋のメニュー)もずく酢、って言葉でもいいかもしれない」だったんですよ。

で、もずく酢はさすがにね、演劇にならないと思いますけど(笑)、しかし今日の例えば「本日はブルーノプロデュース『カシオ』にご来場いただきましてまことにありがとうございます」って何回も繰り返されるあのテクストっていうのは、ある意味もずく酢のようなもので、まあほぼ意味がない言葉ですよね。

あれが挿入された理由は、ひとつには「あと何分で終わります」っていうアナウンスの役目も果たしてるんだと思うけども、同時に、今日扱われているテクストがある意味ではなんでもいいっていう突き放し方をしていると思ったんです。

『カシオ』はいろんな人の、おそらくは実話を基に……

橋本 そうです、ほぼ実話です。喋っている言葉はほぼ話してる俳優が書いたもので。
藤原

ですね。だから、みんなの思い出話だから、ともすればものすごくエモーショナルになってしまうじゃないですか。そのことに対して距離をとって演出しているなって印象があって、

それは今まで観てきたブルーノプロデュースの作品のみならず、ここ数年の、橋本くんよりもうちょっと上の世代の、今20代半ばから後半くらいの世代にもあまり感じない突き放し方で、面白いと思ったんですね。

にもかからずですよ、やっぱり突き放しているだけではお客への感動はなかなか呼べないわけですよね。

例えば具体的なシーンを挙げると、雪だるまのシーンとか。あと犬のラッキーとハッピーの……あの、僕も昔飼ってた犬の名前が、もらってきた時ラッキーって名前で、まあそれはどうでもいいんですけど、実際、皮膚病になるんですよね犬って。で、そういったシーンが、すごく印象に残りました、今日は。

今面白いと思える演劇にはなんらかの「突き放し方」があると思っていて、物語を俳優がベタに演じてます、みたいなことではもはやなくて。

音楽も含めて、音や光や俳優がここに配置されているっていうマテリアル感のようなもの、それが観ている中で、パッと消えたり、続いたりしていくってことが、今日はすごく良かったなって思うんですよ。

橋本 なるべく俳優とか音楽とか照明とかを、対等な位置に持っていきたくて。
藤原 なるほど。エモーショナルなものに対する距離感はあったんですか?演出面として。
橋本

やっぱり普段演出しているとそっちのエモーショナルな気持ち良さについつい行っちゃいがちなんですけど。とは言いながらなるべくどこかにはそういう場面も入れたいなという思いはあって。

そういう感情的なものを舞台上にどう出現させるか、どこに入れられるか、っていうのは悩みました。

考えでは、後半の人の悲しみを引き受けて別の俳優さんが泣くっていうところあたりで使えるかなと。

「雪」がいろんな光とかを吸収して青くなったりオレンジ色になったり色がつく、っていうことと、「作文」っていう誰かの記憶、ただの些細な記憶、情報に色が付くっていうことが、照明が後半オレンジと青に色づいていくっていうことと「繋がった」って思ったとき、あ、ここでやっていいのかなって。

藤原 色、って要素は面白いですね。STスポットって、ほんとは床面は黒ですよね?
橋本そうですね、カーペットで。
藤原 黒なのを、白にして。壁は?白ですけど。
橋本 壁は元々白ですね。この紗幕とかは自分たちで白いものを吊りました。
藤原

俳優が客席の後ろを通るから、空間としては全方向を白で包まれた中にお客も僕らも俳優もいる感じになってましたね。

照明の使い方も、例えば東京デスロックは岩城保さんがずっと担当されてますけど、『LOVE』なんかではもっと派手派手しくはっきりと使ってましたよね。特に印象的に赤や青を。

橋本三原色で。
藤原

そう。もちろん岩城さんは単に三原色をベタっと使ったりせずに繊細に色を調合してるわけですけど、『LOVE』ではインパクトのある色があったのは確かで、その点、今日は色も抑制されて、かなり淡い感じでしたよね。

それがともすれば小ネタ集になりかねない今日の話を、最後までふわーっと行かせる感じが、雪っぽい。

……いや、雪っぽいって意味わかんないけど(笑)

橋本でもそれは嬉しいです。
藤原

ただそれで言うと気になったのは九九のシーンで、もうちょっと、チャイルディッシュっていうか、子供っぽいか、もしくはエロっぽくてもいいかなってことは、思いましたけどね。少しハッキリ出すぎてる気がして。

それはもしかしたら演出上の意図だったのかもしれないんですけど、抑えるなり別のカタチで出したりすれば最後みんながフワーッと消えていく感じがもっと出てくるのではないかなと思いました。

あんまり今回、お客さんに対してグワーみたいなことや、つかみかかりに行くようなことをやってなかったんですか?何か残したいみたいな意図というか。

橋本

記憶を扱っているので、その記憶に重なっている人と重なっていない人によって大きく感じかたが違うと思うんです。

僕も家族は多くなかったし、ペットも飼ったことがなくて、死の実感とかもまったく持ってないんです。

だから何かを残したいっていうふうな作り方をするとなると、自分にはわかんないなと思って。 自分の記憶と照らし合わせたり、自分とこの記憶は全く関係ないって思って観たりとか、こっちから与えるものはなるべく少なくしようと。記憶をその場に提示したいなと。

劇場入りする前はもうすこしお客さんにアプローチするように作ってたんですけど、この空間でそれをやっちゃうとこの白い壁が吸収しちゃう気がして、劇場入りしてからは抑え目に抑え目になっていきましたね。

藤原

そうね、観ている側の記憶が喚起されるような舞台になっていた気がします。「ゲームが最後のほうになると飽きちゃう」のとか、あるよね(笑)。

ただそういうのはどうなんだろう、ゲーム世代特有のものかもしれないし、年輩の方がどういうふうにこの作品を観たのか興味ありますね。橋本くんは今……

橋本 23歳ですね。
藤原

23ですか。で、俳優さんもみんな20代前半ですよね。その記憶を使ってるんだけど、どれくらいの年齢層にアプローチできるかなってのは気になるところではありました(藤原注・後で比較的年配の方に聞いたところ、問題なく楽しめたとその方は言ってました)。

ともあれ、そうした記憶を喚起されてさめざめと感動して泣く、って感じではたぶんなくて、なんか淡い印象のまま消えていくのが心地よいなって思ったし、エモーショナルなものを距離をもって配置して空間を構成して、ある一個の物語として提示できるっていうやり方自体が、もしかしたら今後の橋本くんなりブルーノプロデュースなりの武器になるかなと思った。

橋本

観ている人が前のシーンをどこまで覚えているのかっていうのに興味があって、忘れてもいいなって思いながら作りました。

昔はさっきのシーンを記憶に残して、そのシーンからどんどん積み重ねてお芝居を観てほしいとかそういう願望があったんですけど、今回は通り過ぎ去る風景……高速道路を走ってどんどん風景が去っていく、みたいな現象がここで起こったらおもしろいなと思って。だから「何だったんだろうあれは」くらいがちょうどいいなというか。

藤原 観ながら忘れていく、っていうのは面白いですね。

■初演からの変化

藤原 初演は、二年前?
橋本 そうですね、ちょうど東京デスロックの入団の時期で。
藤原 その時と使っているテクストは同じなんですか?
橋本

いえまったく違いますね。

俳優もピンクの服を着ている吉川綾美とメガネをかけた男のスズキヨウヘイの二人しか初演には出ていなくて、他の今回の出演者は最近一緒に芝居をやりはじめた人たちです。

橋本

初演は合間に自分の作文を読んで、それとは一本別の物語を……一人のいじめられっ子の小学生がいじめを克服して立ち上がる、みたいな。

藤原

立ち上がる……(笑)。

橋本

で、お父さんが死んじゃってそのお父さんが生まれ変わって雪だるまになって

「お父さーん!」

「メリークリスマス!」

って言って消えていって、がんばるよ、みたいな話で。

藤原 全然違う話じゃん(笑)。
橋本

「僕それでもがんばる!」

みたいな(笑) 。

藤原 いい話っぽい!
橋本

そうですねいい話で(笑)。

真っ黒い空間でやっていたんで形が残っていないというか。ユキオのシーンは初演にもあったんですけど、結局大きく変わっちゃっいましたね。

藤原 まったくやろうとしていること自体が違いますよね。
橋本

そうですね。

白い空間で『カシオ』っていう記憶を取り扱った作品をやれたらなっていうのでこの公演の企画を立てて、いざやってみたら、二年前(2009年)と今の自分の演劇に対する興味が違いすぎて。なんか、変わるのかなと。

藤原 どう違ったのかな? たしか、今回の企画書を事前に読ませてもらった時に、二年前に『カシオ』をやった時に、自分はそれまでは戯曲を書く方をやりたいと思っていたけど、それをきっかけに演出専門にしようと決意したとか……
橋本 そうですね、演出家になりたいと思ったんです。
藤原 それは『カシオ』の初演をやった後に思ったんですか?
橋本

いえ、やるにあたってですね。

その直前まで、(2009年)11月にnakano fっていう喫茶店で自分の……僕ブラジル人のハーフなんですけど。書くことがなさすぎてブラジルネタを使って書いて、なんかそれがすごく虚しくて。なにやってるんだろうって思って。

二年前ですけど、その時ほとんどテレビも見ないしマンガも小説も読まないし、だからインプットが本当に少なかったんです。最近やっと読みだしたりして。

だから、ネタ切れになってどうしようって思った時に、人の話を聞きたいってすごく思ったんです。

今『カシオ』の再演をやっている時に、人の話を聞くっていうことにプラスで、自分が普段実感していないものを多く知って、それが自分にはないけど俳優には実感がそれぞれあって、それを舞台に置きたいっていうことを……

藤原 あー、「自分じゃないものにリアリティを置きたい」と。
橋本

そうですね。

いろいろ方向性とか演出プランみたいなものは決めるんですけど、なるべく意図を無くしたいというか、混じらせたい。

藤原

なんかね、今回は橋本くんと同世代のリアリティではある思うんですけど。前回『ひとがた流し』っていう北村薫さんの小説をやったでしょ?

あれは、北村さんって、言い方は失礼ですど結構すでにおじさんじゃないですか。だからあれはいろんな意味でかなり背伸びというか、北村さんが持っている大人ならではのリアリティにはまだだいぶ遠いのではないかと思ったんですけど、でもあれをやったことが活きてるという印象が今日はあって、例えば雪だるまのシーンでも、金谷奈緒さんが……彼女は『ひとがた流し』も出ていてすごく良かったんですけど、年齢不詳に見えたっていう。

橋本(笑)
藤原

年齢不詳に見えたっていうと失礼かもしれないですけど(笑)、すごくいい感じだと思ったんですよ。

そういう意味で徐々にいろんなリアリティがこの作品に持ち込まれてきているのかなあと。

だから前はね、なんとなく最初に橋本くんに対して抱いたインプレッションは、すごく自分の内側に持ってるものがあって、ぶわーって溢れて収拾つかなくなってる感じの人、だった気がするんだけど、今日はもう全然逆で、なんにもない白い空間に様々なものを呼び込もうとしている感じがありました。

その辺の二年間の違いはあるんですかね?

橋本たぶんそうですね。

■作為的な記憶

藤原

さっきハーフって仰いましたけど、日本にはいつから住んでたんですか?

橋本

ブラジルで生まれて、三歳のころ日本に来て、そこから日本で暮らしているので、日本語しかできないですし。

サッカーもできないですし。

藤原 サッカーもできない(笑)。はは、最近ご活躍のね―
橋本 そうなんですよ~!
藤原 日本代表入りしたハーフナー・マイクにそっくりという。ハーフナー・マイク見るたびに橋本くんを思い出すんですよね。
橋本バイト先の居酒屋のお客さんにも言われて。
藤原 めんどいことが増えましたね(笑)。
橋本

下手くそなのに、より負い目に。

だから自分がブラジル人って事にも実感がないっていうことに『カシオ』をやって気づいたんです。「なにも実感がない」って。

そのことに気付けて良かったなあって。

藤原特にブラジル感もないもんね。
橋本そうですね(笑)
藤原

サンバのリズムとかも別に一切ないっていう。その「誰でもない感」はすごく面白い気がしますね。

つまりいわゆる日本人っていうふうにも、なりきれないって言うとアレですけど、そういうふうでもなく。

橋本 なんだろう、って思います。
藤原

ただね、演出家としてやっていくにあたって、さっき言ったようなからっぽ感というか、いろんなものを手繰り寄せる感じはすごく面白いと思うんですけど、

しかし『カシオ』を観ていて一方で思うのは、「でもこれ、書いてるよな」ってことなんです。

だってどう考えても犬のラッキーとハッピーとかは、たまたまそういう話が実際あったかもしれないけど、意味深な名前に変えたのかもしれないし、あのシーンをあそこに置くことによって、ひとつの作為があるわけじゃないですか。その後泣く人を登場させたり。

それはもう「書いてる」って言っていいのではないかなって思うんです。

それはね、多田淳之介にも感じるところなんですけど、あの人も全然自分では書かないとか言っているけど、「構成をする」っていうことと「書く」ってことは、演劇においては僕はそんなに差がないことだと思ってるんですね。

だから「実は書いてます」みたいに言っていくと岸田戯曲賞の可能性も……(笑)

橋本(笑)
藤原

っていうかね、この場を借りて言いたいのは、演劇って戯曲賞はあるのになんでインパクトのある演出家賞がそんなにないのかなと。

ねえ。どうするんですかこの後の人生?(笑)

橋本(笑)
藤原

どうやってこのあと世に認められていくかって考えた時に、だからみんな無理にオリジナルの新作を書こうかみたいになると思うんだけど、別にそこに必ずしも縛られなくていいじゃんって思うから、だからこれも「書いてる」ってことでいいんじゃないかな。

ところでブルーノプロデュースは今後なにかありますか?

橋本

そうですね、今回は自分の意図とかをあんまり出さず、ただ提示するってことをやったので、来月12月に王子小劇場でちょうどクリスマスにまた冬の話やろうと思ってるんですが、それは記憶とか記録を扱う作品になると思うんですけど、記憶を装飾しまくるとどうなるかみたいな、記憶にこちら側の意図を込める、僕の意図とかで振り切るとどうなるのかなっていうのを要素のひとつとして考えてます。

まだ全然そういう話になるか分かんないんですけど。

藤原 記憶を……
橋本記憶を巨大化する。
藤原ああ。
橋本 一歩間違えれば危ないですけど、英雄的に自分の記憶を語ったりとかって。それが観たいわけではなくて、それをすることでどういう現象が舞台に起こるかっていうのに興味があります。
藤原なるほどね。
橋本でも、バランスの問題というか、危ないことかなって。
藤原 例えば今作はそういう肥大化はさせていないじゃないですか。
橋本そうですね、ギリギリで。うねうねさせて。
藤原

うん、うねうね感がある。でも、そういうのをやってもいいかもしれないですね。

どっかの記憶がパーッてひらいていくようなことも。

橋本キャッチコピーが「ドキュメンタリー・ポップ・ザウルス」って。
藤原んー?(笑)「ドキュメンタリー・ポップ・ザウルス」?
橋本ミスチルのライブのキャッチコピーのパクリなんですけど。
藤原(笑)
橋本今回が「ドキュメンタリー・ポップ・アンセム」っていう。Sweet Vacationっていうアーティストのパクリなんですけど(笑)
藤原

(笑)さっきパクリ感ないって言ったけど、意外にそういうところはパクリで出来てるよね。

元ネタはいろいろあるという。

橋本

ザウルスっていいなって。巨大化。

で、その記憶ごとその恐竜が食っちゃう、新しい記憶がその記憶を食っちゃうみたいな。

すげーなミスチルって思って。

藤原(笑)
橋本 今度は男が多いんですよ。キャストも15人出ます。
藤原

あ、そうなんだ。

全然『カシオ』とは逆ですね。

橋本

今回初めてこんなに女子がいっぱいいるんです。だから雰囲気が全然、やる人によって変わるので。

男が十何人もいるという。

藤原 女子ばっかりな上にスズキヨウヘイくんもなんか女子っぽく見えるよね。(笑)
橋本

そう、ギリギリ。

なので平舘宏大があまりこの場にそぐわなくて、どうしようって悩みました。

藤原 あ、雪だるまにされる彼ですね―
橋本 そうなんです、あれをやればこのきれいな空間でも異質な感じは成り立つ。
藤原 でも彼も肩車してたけどあんまりマッチョ感なくてよかったです。
橋本なで肩で(笑)
藤原 ああ、滑り落ちて大変っていう(笑)。
橋本 一番肩車に向いていない体型です。
藤原 そういえば今作も完全に冬だと思うんだけど、今度もクリスマスになるわけですよね?
橋本そうですね。
藤原

なんで冬なんですかね?

 っていうのはほら、同じく某日大出身の……

橋本ああ!はい。
藤原 イケイケ劇団ロロが夏シリーズを今年やってるじゃないですか。
橋本ハシゴして来てほしいんですけど。
藤原 今なんて、あっちは特に『常夏』ですよ。
橋本そうですね。うちは冬。
藤原 いや、あんまり比べたらアレかもしれないけど、同い年くらいですか?
橋本 三浦さんは一つ上の、先輩ですね。
藤原

ロロのキラキラ感に比べると、ブルーノプロデュース全然そういうのないと思うんですけど。でもそれはそれでいいなって思うんですね。

たまにね、両方に出てる人もいますけど、ブルーノはああいうキラキラじゃない道を、冬を淡々と行く感じ(笑)

橋本 そうですね、淡々と……地味な。
藤原でも、地味と言っても、結構今日は音楽を使ったり、わーっとやったりする感じはすごく良かったですけどね。
橋本 記憶をできるだけ内容じゃなくて視覚とか聴覚とかで体感してほしいと思ったので、内容に引きずられないように。
藤原 うん、音数がパーッて増えたり、逆にシュッてなくなったりするのはなかなか面白いですね。
橋本

そうですね。

今年から音楽をブルーノと一緒にやってくれる涌井智仁くんなんですけど、普段はノイズミュージックというか、ブツッていう、なんていうんですかね。コードをどっかから抜いたときの音で音楽を作る、みたいなことをやってるんですけど。

今回は結構ピュアっていうような感じで作ってもらいました。12月も一緒にやらせてもらうんですが、そっちはノイズが激しくなるんじゃないかなって。
藤原

あ、そうなんだ。それはそれで楽しみですね。『ひとがた流し』の時から彼のプレイには注目してたんです。

 

……えーと、なんか、会場のお客さんから質問とか訊きます?

橋本

あ、そうですね。では、なにかある方は。手を挙げていただけると答えますので。……。

藤原特にない?
橋本特にないですね。
藤原

……なんかね、僕今日かなりまったり喋ってるんですけど、最近ものすごい数の演劇が東京にあってですね、まあ「フェスティバル・トーキョー」の真っ直中ってこともあるんですけど、いっぱい観てて、面白い、良い作品にも出会えてていいなって思うんですけど、一方ではギラギラしたものが多くて疲れるなっていうのもちょっとあって、やっぱり群雄割拠の中で目立ちたいみたいな意識もあったりすると思うんです。

でも今日の『カシオ』みたいな感じで静かにやるのもたまにはあっていいし、淡々としているからこそ見えてくるものもあるかなと思って非常に好感を持ちました。

みなさん楽しんだのかしら?

橋本どう見えてるのか全然わからないんですよね。

■STスポットという空間

藤原

あともうひとつ、このSTスポットに関して言うと、白壁っていうのもあるんですけど、結構これまでダンスに力を入れてきた劇場だと思うんです。

チェルフィッチュも、東京デスロックも、それからマームとジプシーもここでやったりしてますけど、今名前を挙げたカンパニーはかなりもうダンス的になってると思うんですね。

それはこのSTスポットの空間のサイズとかも関係あるのかな?

橋本

たぶん。……あと壁もですね。ただ壁を触るだけでも一つの表現になってしまう気がしています。詩的になる、みたいな。

ただ触っているだけなのに。そのへんは怖いですね。

藤原 ああ、立ってるだけとかね。
橋本 すごく情報が多いというか、全てをはっきり写しちゃうというか、生身の人間を浮かび上がらせるのがほかの劇場と比べてすごく生々しく出る所だなって。
藤原 シルエットがすごくきれいに映りますもんね。
橋本 そうなんですよ。だからここで再演して、雪の話を真っ白にしてやりたいなと思ったり。
藤原

身体とか動きを丁寧にやるってことと、音をね、使ってくってことの感性をすごく喚起されるし、要求もされる場所だなって思うんです。

僕もこのSTスポットでそれなりの数の作品を観てきたと思うんですけど、ここでいい作品に出会うことによって、僕自身の演劇観もがだいぶ変わったなあって印象があって。そういう意味でも、今日の『カシオ』はここで観られてよかったって気がしますね。またここでやってほしい。

橋本やりたいですねSTで。
藤原80分っていう枠を決めたのは何かあるんですか?
橋本『ひとがた流し』が4時間近くあって。
藤原長かったですね。
橋本

長かったですね(笑)。

その前の『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』っていう松本大洋さんのやつも2時間近くあって、ブルーノは2時間超えが多くて、長い作品を上演する団体って思われたくなくて、短いのを一つ作りたいなって。

ちゃんと短く終わらせるっていうことに向きあいたいなと、そしたら80分くらいかなって。

実際は巻いて実は75分なんですけど。

藤原

そういう、より繊細なダンス的な作品を作って行く時に、一回なんかこう、ミニマリズムっていうかね、ミニマムでミニマルなものを経由するっていうのはもしかしたらすごくいいことかもしれない。

たぶんチェルフィッチュとかもこういう極小の空間でやることによって得たものは大きかったと思うし、多田さんも東京デスロックの『LOVE』や『再/生』をここでやってますけど、要素を減らすことによって自分の武器みたいなものを発見していく作業はあるかもしれないですね。

橋本そうですね。短いほうが物理的に見直せる時間もある。いつも以上に丁寧に作れたというか、向き合えたというか。

■世代

藤原

あと、あんまり言うと舌禍事件とかになったら怖いんですけども(笑)。

実は橋本くんと初めて会ったのは『キレなかった14才りたーんず』っていう演出家6人が集まった企画の時に、たしか手伝いかなんかで……

橋本 そうですね、手伝いで 。
藤原 うわー、すごい背の高いかっこいい子がいるなあって思って。
橋本 すごいいじられましたもん快快の篠田さんに(笑)。「ブルーノ!ブルーノ!」って。
藤原(笑)ああ、かわいがられました?
橋本やさしかったです。
藤原

ほんとですか? まあいいや(笑)。

とにかくあれは6人のね、1982年から84年生まれの演出家の作品群だったじゃないですか。

彼らは今それぞれ活動の印象は変わってきたと思うんですけど、わりと「多幸感」っていうか、世界に対する肯定感が強いというようにあの頃もよく言われたし、本人たちもわりとその感触はあったと思う。

あとすごく言われたのが、自分たちの過去の記憶みたいなものを取り扱っている人が多いと、比較的ね。ノスタルジーだと。

それは年配の人が指摘していたことではあるんですけども、そんな20代ちょっとで自分の過去を回想するとかより、もっと大きな政治的状況を意識したような、大きな物語とかをやりなさいよ、みたいなことを言われてきたんだけど、それに対して、より下の世代である橋本くんはどう見ていたのかとか、あるいは自分はこうだ、とかってありますか? まあ少なくとも作品は観てきましたよね。

橋本

そうですね作品は全部観ました。

印象としては自分の過去を採り上げてそれをみせるっていう、みせ方がそれぞれにきちんとあって、それが突き刺さるって印象でした。

柴さんの『少年B』とか。篠田さんの『アントン、猫、クリ』とか。記憶をもってそれをいろんな方向から突き刺していくっていう印象がありましたね。

自分にはそういう突き刺し方はまだできないので、今回は丁寧に提示したいなと。

藤原

なるほどね。突き刺すような、と。

篠田千明の『アントン、猫、クリ』はかなりそうでしたね。

橋本

そうですね、グサグサ。

ああいう舞台と客席の壁を突破するというか、突き刺す力っていうのは、りたーんずの人たちから感じて、すごいなって思いましたね。

藤原

突き刺すのとは別のインプレッションの仕方みたいなのが出てくると、またそれはそれで面白いかもしれないですね。

僕が思ったのは、彼らの「多幸感」ってのはある意味ではものすごくエネルギッシュなんですよね。それはもしかすると、僕は彼らよりも上の世代ですけど、「世の中終わってんなー」みたいな絶望のもうひとつ裏というか遅れてやってきたエネルギッシュなものを感じて、そこには良くも悪くも底抜け感みたいなものを感じるんだけど、

今日の『カシオ』はまたそういう感じでもないなと思ったんですよ。そこらへんを今後どうしていくのかなと。

橋本 そうなんですよ、今回の作品、自分でもよく分かんないんですよ。
藤原 よく分かんない、というのは?
橋本

日によって自分でも受け取り方が違ってて、あんまりうまく言語化できないんですけど。「なんだろうこの作品は」みたいな、「でもある、ここに」みたいな。

そういう今までとは違う作品との距離感で戸惑ってるんですけど、まだ今日も戸惑ってますけど、「なんだろう得体が分かんないこいつ、『カシオ』ってなんだろう」みたいな。

それがいいことか悪いことかっていう判断がまだできていないです。

藤原あるけどパッと消えちゃう感じ?
橋本そういう風に作っているっていうのは多分あると思うんですけど。
藤原 また3年後くらいに再々演したら面白いかもね。
橋本そうですね。
藤原 そのとき集まった俳優さんとやったらまた素材となるエピソードも変わるし、橋本くんがどこをどう拾うのかも変わるだろうし。
橋本どこの場所でやるかっていうことでもすごく大きく変わるでしょうし。
藤原 そうね。最後に質問しますけど、ライバルとか、いますか? こいつは潰す、とか(笑) 。
橋本 (笑) 。
藤原 まあ、橋本くんは「潰す感」はないですよね。
橋本基本ファンになっちゃうんですよ。
藤原いい人ですよね。
橋本ひたすら憧れちゃうっていうのがあって、でも三浦さんとか―
藤原 ん、どの三浦さんですか?
橋本

あ、ロロの、先輩の三浦さんです。そうですね……大好きですね。
なんで「作・演出」なのにあんなに演出うまいんだろうってほんとにいつも思うんです。

「あー!うまい!でも脚本も書いてるし!」みたいな。

藤原 なるほどね。でもじゃあ、ライバルってことにしましょうよ。
橋本いや!
藤原 ナイショで。ここだけの話ってことで。夏と冬で対決!
橋本

うわー、気まずいですね。あんまりちゃんと話したことが……あ、来月アフタートークに出ていただきます。

藤原

それは楽しみですね。

じゃあ、今日はそんな感じで。

橋本

はい。

最後までありがとうございました。